左遷至藍関示姪孫湘させんせられて らんかんにいたり てつそんしょうにしめす

韓愈かんゆ

一封朝奏九重天いっぷう あしたにそうす きゅうちょうのてん

夕貶潮州路八千ゆうべに ちょうしゅうにへんせらる みちはっせん

欲為聖明除弊事せいめいのために へいじをのぞかんとほっす

肯將衰朽惜残年あえて すいきゅうをもって ざんねんをおしまんや

雲横秦嶺家何在くもはしんれいによこたわりて いえいずくにかある

雪擁藍関馬不前ゆきはらんかんをようして うますすまず

知汝遠来応有意しる なんじがとおくきたる まさにい あるべし

好収吾骨瘴江辺 よし わがほねをおさめよ しょうこうのほとりに


韓愈:課本裡的“成語之王”,大唐膽子最大的詩人 Youtube


韓愈(かんゆ)(768年〜824年)は、中唐を代表する文人官僚・政治家です。 下級官僚の家に生まれた韓愈は、幼くして父を失い苦労して勉学に励み二十四歳で科挙に合格します。 文人としての韓愈は、同時代の柳宗元(りゅうそうげん)(773年〜819年)とともに文体改革を推進し、当時主流であった駢文(べんぶん)と呼ばれる技巧をこらした文体から脱し、形式に縛られず自由に思う所を表出できる文体である「古文」を創出しました。二人が活躍した八世紀後半は、安史の乱(755年~763年)によって、それまで国の支配階級であった貴族が没落し、科挙出身の新興官僚が台頭しはじめた時期です。
二人はともに文人でありながら科挙出身の新興官僚です。

韓愈の文体改革は、それを通して儒教精神を復活させることを目指すものでした。 唐の時代は仏教や道教が支配者層に広まり、政治がその影響を受けることが少なくありませんでした。
熱烈な儒教の信奉者であった韓愈は、文体改革を通じて、為政者が中国古来の伝統的な政治思想である儒教へ回帰することを強く主張したのです。


参照

左遷至藍関示姪孫湘(韓愈) - Web漢文大系
韓愈 - Wiki
作成者:webmaster
カテゴリー:漢詩
タグ:漢詩,左遷至藍関示姪孫湘,韓愈,
最終更新日 :

広告


[PR]

[PR]

 
 
 
 
 
 
 

CMS