黄鶴楼こうかくろう

崔顥さいこう
昔人せきじん すでに乗黄鶴去      こうかくにのりてさり  
此地このち 空余むなしくあます黄鶴楼こうかくろう    
黄鶴こうかく 一去不復返      ひとたびさってまたかえらず    
白雲はくうん 千載せんざい 空   むなしく悠悠 ゆうゆう    
晴川せいせん 歴歴れきれきたり漢陽樹 かんようのき      
芳草ほうそう 萋萋せいせいたり鸚鵡洲 おうむしゅう      
日暮にちぼ 郷関  きょうかん何  いずれの処  ところか是  これなる
煙波えんぱ 江上こうじょう使人愁      ひとをしてうれえしむ    

意味

黄鶴に乗って仙人は飛び去り、
この地には黄鶴楼だけが残された。
黄鶴は飛んで行ってもう帰ることはない。
ただ白雲だけは今もゆったりと流れている。
晴れわたった長江の対岸に漢陽の街の木々が日をうけて立ち、
中州の鸚鵡の州に草は生い茂る。
黄昏がせまり、故郷はどのあたりかと見れば、
川靄がたちこめていて、旅愁をかきたてる。

崔顥(さいこう)の生年は不明である。 開元11年(723年)に科挙に合格した。 開元13年(725年)、相州(現在の河南省安陽市)で宰相張說に范衡を推薦した。 当時の崔顥の官職は不明である。

科挙に合格した後、開元18年(730年)から開元29年(750年)まで、河東節度使軍中代州都督の杜希望に仕えた。 定襄郡に行き、調査を行い、自ら刑事事件を裁いた。 開元29年(741年)、扶溝縣尉を務めた。 官職は目立ったものではなかった。 天宝13載(754年)在職中に死去した。

崔顥の詩風は、時代によって大きく変化した。 殷璠の『河嶽英靈集』には、「若い頃は詩を詠み、軽薄な性格で知られていたが、晩年は突然風格を改め、威厳を帯びるようになった。 辺境の城壁を一目見れば、軍隊生活の様子が伺える」と記されている。

唐代には、崔顥が王維と共に詩作に名を連ねていることがよく知られている。 『舊唐書·文苑傳』には、王昌齡、高適、孟浩然と共に崔顥が挙げられている。 宋代の嚴羽は『滄浪詩話』の中で、崔顥の詩「黃鶴樓」は唐代の七字律詩の中で最高のものであると述べている。 崔顥の名声は明清代まで高く評価された。


作成者:webmaster
カテゴリー:漢詩
タグ:漢詩,黄鶴楼,崔顥,
最終更新日 :

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