黄鶴楼
意味
- 黄鶴に乗って仙人は飛び去り、
- この地には黄鶴楼だけが残された。
- 黄鶴は飛んで行ってもう帰ることはない。
- ただ白雲だけは今もゆったりと流れている。
- 晴れわたった長江の対岸に漢陽の街の木々が日をうけて立ち、
- 中州の鸚鵡の州に草は生い茂る。
- 黄昏がせまり、故郷はどのあたりかと見れば、
- 川靄がたちこめていて、旅愁をかきたてる。
科挙に合格した後、開元18年(730年)から開元29年(750年)まで、河東節度使軍中代州都督の杜希望に仕えた。 定襄郡に行き、調査を行い、自ら刑事事件を裁いた。 開元29年(741年)、扶溝縣尉を務めた。 官職は目立ったものではなかった。 天宝13載(754年)在職中に死去した。
崔顥の詩風は、時代によって大きく変化した。 殷璠の『河嶽英靈集』には、「若い頃は詩を詠み、軽薄な性格で知られていたが、晩年は突然風格を改め、威厳を帯びるようになった。 辺境の城壁を一目見れば、軍隊生活の様子が伺える」と記されている。
唐代には、崔顥が王維と共に詩作に名を連ねていることがよく知られている。 『舊唐書·文苑傳』には、王昌齡、高適、孟浩然と共に崔顥が挙げられている。 宋代の嚴羽は『滄浪詩話』の中で、崔顥の詩「黃鶴樓」は唐代の七字律詩の中で最高のものであると述べている。 崔顥の名声は明清代まで高く評価された。
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