補助翼後緑タブバランスは零式戦闘機代61号機から。。。。。。のち廃止。
昭和14年3月16日、十二式艦上戦闘機第一号機が名古屋航空機製作所試作工場に於て完成。
三菱が設計製作した十二式艦上戦闘機、紀元2600(昭和15年)年7月末に海軍制式戦闘機として採用、零式艦上戦闘機一一型。
昭和16年1月、
陸軍 キ-44(鍾馗)、キ-43(隼)、キ-27(97戦改)
海軍 零式一一型
昭和16年5月22日、木村空曹搭乗の零式戦闘機が、昭和16年6月23日には第2機目が中国軍の防禦砲火によって撃墜された。 その後、大東亞戦争まで撃墜された機は無い。
中国大陸での零式戦闘機の作戦行動は昭和16年8月31日を最後に終了した。
中国空軍に与えた損害は、撃墜 : 162機(不確実3機)、撃破 : 264機、
零式戦闘機の損害 : 2機
三菱製空冷星型発動機
瑞星:公称875馬力(高度3600メートル)
金星:公称1100馬力(高度4200メートル)
零式戦闘機も、十二式艦上戦闘機一一型として制作設計された後、三号機から発動機を三菱製「瑞星」から中島製栄一二型発動機に換え零式艦上戦闘機一一型として三菱では64機が生産されていた。
しかし、航空母艦の昇降機と比べるとわずかに小さいだけで、緊急時の上げ下ろしに具合が悪いのと翼端を破損してしまう恐れがあった。その為、
両翼端を50cmずつ上法に90度折畳むことができるように改造。 二一型。
三二型
二二型
五二型
五二型甲
五二型乙
五二型丙
五三型丙
六三型
五四型丙
と、終戦まで各種の改造が行なわれた。
昭和16年3月末までに182機の零式戦闘機が三菱から海軍に納入された。
名古屋航空機製作所関係で生産された零式戦闘機は
昭和19年10月 : 145機
昭和20年2月 : 59機、
3月 : 40機、
4月 : 37機、
5月 : 38機、
6月 : 23機、
7月 : 15機(鈴鹿整備工場)
8月 : 6機(終戦日まで)
一式陸上攻撃機
4月 : 11機
5月 : 5機
6月 : 3機
7月 : 0機
雷電
4月 : 16機
5月 : 0機
6月 : 8機
昭和14年 十二式艦上戦闘機 一号機
9月14日 発動機(三菱 瑞星一三型)
10月18日 二号機 最高速度504Km
昭和15年 三号機から発動機は中島製栄一二型
最高速度533Km
7月 中国大陸へ 6機(横山大尉)+9機(横須賀航空隊 進藤大尉)
7月末 零式艦上戦闘機一一型と命名される。
8月19日重慶へ向けて発進。(往復810浬[約1,500Km])