ウ号作戦(インパール作戦)は、昭和19年3月15日に発起され、参加総員数は不明であるが作戦中止の7月には参加部隊は壊滅状態になった。
『戦史叢書 イラワジ会戦』に因ればインパール作戦の参加総員数は不明だそうです。
イギリス軍側の損害17,587名(戦病は第33軍団のみで約47,000名)に対し、日本軍は参加兵力約85,600名のうち戦死は約30,000名(約26,000名という説も有るが....)、戦病死は約20,000名、約20,000名の後送患者・行方不明がでた。
作戦にはインド国民軍7,000名が参加した(占領地の行政は自由インド仮政府に一任すると協定されていた)。
1945年1月末におけるビルマ方面軍の戦力は以下の通りである。第15軍では第15師団4000名、第31師団6290名、第33師団4300名、第53師団4853名。第33軍は第18師団7190名、第56師団6445名。第28軍の各師団の戦力は明らかではないが、軍全体は4万名である。と言う事だから師団の体をなしていない
| ビルマ方面軍(森) | 第十五軍(林) | 第15師団(祭) |
|---|---|---|
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司令官 : 河辺正三 中将 参謀長 : 中英太郎 中将 高級参謀 : 片倉衷 大佐 |
司令官 : 牟田口廉也 中将 参謀長 : 久野桃代 中将 高級参謀 : 木下秀明 大佐 防衛参謀 : 橋本洋 中佐 作戦参謀 : 平井文 中佐 情報参謀 : 藤原岩市 少佐 兵站参謀 : 薄井誠三郎 少佐 兵站参謀 : 高橋巌 少佐 作戦発起 : 3月8日 |
師団長 : 山内正文 中将 後任 : 柴田卯一 中将 参謀長 : 岡田菊三郎 少将 作戦発起 : 3月15日 |
| 第31師団(烈) | ||
| 師団長 : 佐藤幸徳 中将 後任 : 河田槌太郎 中将 参謀長 : 加藤国治 大佐 作戦発起 : 3月15日 | ||
| 第33師団(弓) | ||
| 師団長 : 柳田元三 中将 後任 : 田中信男 中将 参謀長 : 田中鉄次郎 大佐 作戦発起 : 3月8日 |
新潟歩兵58連隊(第31師団(烈)左突進隊)所属の元兵士。 当時、飢えに苦しむ兵士の様子を語る。 (歩兵第124聯隊は第31師団(烈)の本隊)