歩兵第213聯隊
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通称号:弓6822部隊
- 編成地 : 茨城県水戸
編成時期 : 昭和14年
上級部隊 : 第53師団
終戦時の所在地 : モールメン南方
- 昭和14年編成直後に他の第33師団所属の聯隊と共に第11軍の隷下に入って新潟港から中国の華中戦線へ出征。
- 昭和16年3月の第1次錦江作戦で中国軍を破り、第2次錦江作戦では中国軍に包囲されて危機に陥っていた第33師団の救出作戦を敢行。
- 昭和16年11月7日、南方軍の戦闘序列が下令され、昭和17年2月10日に中国大陸を離れタイに転戦。
- タイのバンコクに上陸、タイ・ビルマ国境を越えプローム附近で師団主力と合流。
英印軍を主力とした連合軍と戦闘に入り、イワタン、ミギャンギー、マグエ、エナンジョンと北に向かって英印軍を追いつめ、4月27日にはチンドウィン河畔に迫りました。
- 昭和17年9月から連合軍がビルマ奪還の反撃を開始。
- これ以降、熾烈な防衛戦が展開された。
- 昭和17年10月、アキャブ防衛に派遣されていた第2大隊方面が急を告げたので、連隊はアラカン山脈を越えて合流。
- 更に、エナンジョンの警備についていた第1大隊にもアキャブに進出せよとの命令
アラカン山脈を50日間余の難行軍の末に突破して連隊に復帰合流。
当時アキャブ方面の英印軍の反撃は激しく、連日死闘が展開されました。
- 昭和18年9月22日、インパール作戦準備のためタウンギーからヤザギョウ、モーライク地区へ転進。
- 昭和19年3月15日、正式にインパール作戦が発動される。
- 補給もおぼつかない無謀な作戦のため、飢餓と病気で戦線全域は戦死傷者であふれ、戦闘力を失う。
- 昭和19年7月2日、インパール作戦中止。
- 昭和20年6月にタイの国境付近のラマイン地区に到着。(終戦により同地で軍旗を奉焼しました。)
連隊の延べ戦死者は、中国戦線で260名、ビルマ戦線で4,278名、大半は無謀なインパール作戦の犠牲者でした。
歩兵第213聯隊 聯隊長 : 副官 : 作戦主任 : 後任 : 情報主任 : |
第一大隊 長 : 後任 : 後任 : |
第1中隊 長 : |
第2中隊 長 : |
第3中隊 長 : |
第4中隊 長 : |
第1機関銃中隊 長 : |
第二大隊 長 : 後任 : |
第5中隊 長 : |
第6中隊 長 : |
第7中隊 長 : |
第8中隊 長 : |
第2機関銃中隊 長 : |
第三大隊 長 : 後任 : |
第9中隊 長 : |
第10中隊 長 : |
第11中隊 長 : |
第12中隊 長 : |
第3機関銃中隊 長 : |
| | 歩兵砲隊 長 : |
| | 通信隊 長 : |
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作成日:2003年7月